13
4月
ジェームススキナーは日本でもかなり名の知れた人物つです。もうふるくなりましたが
ナオレオンヒルさんのような感じの方です。ブックオフに行くとbジネス書の定番のように
並んでいる『7つの習慣』はジェムススキナーの名前は知らずとも、書籍の名前はご存知
の方は少なくないと思います。140万のベストセラーとなったそうです。
また、実際の仕事としては2つの金融グループを設立し、0から2000億円のヘッジファンド
に育て上げたこと。経営コンサルタントとしてトヨタやマイクロソフト、ソニー、マクドナルド
NECなど名だたる世界的企業を指導したことでも有名です。
そんな、ジェームススキナーさんが、最近また「成功の9ステップ」で脚光を浴びています。
こんどは7じゃなく9ですか!!って感じですが(笑)日本のネット市場を巧みに利用して
ビジネスを展開しています。実際ジェームススキナー自信が手がけているのか彼の周りの人
たちが手がけているのかは、私には見えません。でもうまく利用されている感じはします。
その書籍の中でジェームススキナーの言葉で「違いを生む違いを見つけなさい」成果を出して
いる人の「どの点が他の人と違うか」観察しなさい。そしてそれを取り入れることが大切です。
というのがあります。有名なフレーズのようです。
成功と失敗は紙一重の部分にある、ちょっと視点を変えてみてごらんなさい。結果が出るか
出ないかはこの部分の要素が大きいということですね。言われてみればそうそう!そのとおり
と思いますが、なかなか、こうして文字にして表現することはむつかしいですし、それが可能
なジェイムススキナーはやはり偉大な人だと感じざるを得ません。
25
12月
ジェームススキナーを指して、“彼はいったい、どんなことをやりたかったのか?” “ジェームススキナーは、彼の人生において、どんなことを達成したいと考えていた、考えているのか?” といったことを考えることは、頭の体操として、面白いのかもしれませんね。彼、ジェームススキナーは、人間が、人生において成功する方法とは? と、いうことを、昼も夜も考えていたのでしょう。このことは、彼、ジェームススキナーにとって、人生において成功すること、ということが、とても重要であった、ということの証左となります。あくまでも仮定の話ですので、実際に、ジェームススキナーに話を聞いてみないままに決めつけるわけにはいきません。が、しかし、自ら、なんらかの成功哲学を標榜している人間が、人生における成功、ということを、重要なことだと考ない、というのは、論理的に矛盾が生じますよね。ああ、俺は、成功哲学、成功哲学、と、ビジネス上の定言として話しているだけで、実際のところ、人生においての成功、ということについて、それほど重きをおいていないんだ、ということになれば、それはそれで、ひとつの哲学である、ということにもなりかねませんが・・・(笑)。それはさておき、彼、ジェームススキナーは、まずもって、自分自身の成功、ということに、関心があったのだと思われます。これは、健全な思考です。彼自身にとっての成功とは、彼の成功哲学を学んで実践した人が、多く成功する、ということでありましょう。
20
7月
ジェームススキナーについての、続きを書くにあたって、大切なところですので、再度強調したいと思います。“その方法論が有用であればあるほど、その方法論を提唱する人物の名声は上がります。しかし、方法論が素晴らしいから、その提唱者のパーソナリティが完全無欠であるか、というと、そういうこじつけ方をしてしまうことによって、方法論の提唱者自身を追い詰めることになりかねません。このことは、ジェームススキナーや、ジェームススキナーの提唱する方法論から離れて、一般論としてお聞きください。方法論はあくまで方法論でしかなく、方法である以上、私たち人間によって使われなくてはなりません。方法論そのものや、その方法論の提唱者、というものが、浮遊してしまってはいけないのです。妙な付加価値がついてしまって、それが、不幸にして、神秘的、というような域に、一時的にもせよ達してしまうと、そういう想定ができていない提唱者や、周囲の人間は、オーバーフローを起こしてしまいます。ごく一部分であるにせよ、社会的な影響も大きいのです。成功哲学だとか、自己啓発セミナー、というものに関わる人間は、常に、そういう類の危険について、敏感でいることを保っている必要があります。・・・自分はなんでも出来る・・・、というふうに考え始めたら、警鐘が鳴った、と思ってください、黄色信号ではなく、赤信号です。” ジェームススキナーについて、というよりも、成功哲学、とか、自己啓発、といったもの全般に対する警鐘として、読み応えのある記事だったと、我ながら思います。例えば、成功哲学にボケてしまった直後にfxをやろうとすると、fxスプレッドを見る、といった、基本的なことをやらずに、売買したりする、なんてことがあるそうです。危険ですねえ。そういうときにこそ、自戒しなくちゃなりませんね。
04
3月
方法は、目標を達成するためにある、という点に立ち返りましょう。ジェームススキナーその人をはじめとして、成功哲学に携わる人や、自己啓発セミナーなどに携わる人というのは、そこのところを肝に銘じて、事あるごとに、自身や周囲のスタッフをリセットすることに努めなければなりません。その方法論が有用であればあるほど、その方法論を提唱する人物の名声は上がります。しかし、方法論が素晴らしいから、その提唱者のパーソナリティが完全無欠であるか、というと、そういうこじつけ方をしてしまうことによって、方法論の提唱者自身を追い詰めることになりかねません。このことは、ジェームススキナーや、ジェームススキナーの提唱する方法論から離れて、一般論としてお聞きください。方法論はあくまで方法論でしかなく、方法である以上、私たち人間によって使われなくてはなりません。方法論そのものや、その方法論の提唱者、というものが、浮遊してしまってはいけないのです。妙な付加価値がついてしまって、それが、不幸にして、神秘的、というような域に、一時的にもせよ達してしまうと、そういう想定ができていない提唱者や、周囲の人間は、オーバーフローを起こしてしまいます。ごく一部分であるにせよ、社会的な影響も大きいのです。成功哲学だとか、自己啓発セミナー、というものに関わる人間は、常に、そういう類の危険について、敏感でいることを保っている必要があります。“自分はなんでも出来る”、というふうに考え始めたら、警鐘が鳴った、と思ってください、黄色信号ではなく、赤信号です。以上、老婆心ながら・・・。
今回のテーマは、ジェームススキナー、でした。
02
3月
それでも、私は、もし、ジェームススキナー展開する方法論が、簡易条件付け、というものに属する、認知の変容であるとしたら、ジェームススキナーのその方法は、大いに使えるものである、というふうに考えます。“たやすいやり方は戻り易い”というのは道理ですが、戻り易いからといって、その方法は、全く使えないか、というと、そうではないのです。認知の変容にしても、比較的長持ちする方法、というのがありますが、長持ちする方法、というのは、それだけ大掛かりな準備や仕掛けを要するわけですから、着手し辛い、という欠点があります。ですから、認知の変容を促す場合には、着手しやすい方法と、手間ひまの掛る方法とを、状況や必要に応じて併用する、というやり方が現実的ではないか、と、私は考えます。ジェームススキナーの方法論については、彼、ジェームススキナーは、比較的取り組みやすい認知の変容方法を取り扱っているのでは、というふうに私は考えているのです。ジェームススキナーに関する私の推測が当を得ているようであれば、彼、ジェームススキナーの提唱する方法のみで、認知の変容全てが事足りる、というふうにはいかないかと存じます。しかし、ジェームススキナーのやり方が有効である場合も大いにあるのでは、というところなのですね。全ての場合に応用が利き、その方法一枚で事足りる、というような認知の変容方法というのは、現在まで、私は、そういう万能論の存在を知りません。
26
2月
“食習慣を変える、という方法なら、私が、ジェームススキナーのやり方を真似て方法論を展開するとしたら、身体にとって有害なものを、“有害だ” “有害だから食べない方がいい” “有害だから食べたくない” “食べたくない” という流れで、意識を変えていこうとするでしょう。“ このやり方は、なにも新しいやり方ではありません。行動習慣を変えるのに、まずは条件付けをして、その条件をメンタルの部分に副木のように添わせ、副木の必要がなくなれば、条件を解除する、というやり方ですね。最後の、条件を解除する、というのは、必要がなくなれば条件は自然に、徐々に解除されていく、という言い方をした方がいいでしょう。表現の方法は違うけれど、ジェームススキナーの方法論も、これと同じだろうと、私は考えています。留意すべきは、その食習慣、あるいは、行動習慣が、本当に変えることが望ましい”習慣“であるのか、という点です。ここのところ、”必要がある為しに関わらず、とりあえず動機づけをする“、ということではなくて”、どういう長期目標を設定するのか、ということで、変える・変えない、というところが決まってくる“、というふうに考えた方がいいでしょう。ただ単に、”身体に悪そうだから“ ”痩せたいから“という単純な動機付けで、食習慣を変えよう、としても、条件付けをうまくやることによって、目標を達成することは可能だけれど、逆の条件付けが容易に為されたりして、食習慣が元に戻ったり、ダイエットであれば、リバウンドすることも容易に起こり得る、ということはあり得るかと思います。
23
2月
ジェームススキナーに関して、ジェームスキナーのセミナーに参加したと話している人たちの書いたものなどを読んでいると、彼、ジェームススキナーは、方法論者であるように思われます。長期目標を設定することも、究極は、方法論、ということになるのでしょう。だから、彼、ジェームススキナーが、仮に、私が考えているように、純粋な方法論者であるとしても、長期目標、例えば、人生如何に生きるか、といったようなことまでも、設定するのに、ジェームスキナーの方法論を援用するころも大いに可能でしょう。もしかすると、ジェームススキナーが、自身のセミナーで、参加者に達成して欲しいこととして、長期目標の設定と達成である、ということを言っているのかもしれません。その可能性は大いにあるでしょう。
彼、ジェームスセミナーの方法論は、“9つのステップ”としてまとめられているということです。ジェームススキナーのセミナー参加者によると、その、9つのステップのうちには、食生活に関して言及している部分があるとのことです。ジェームススキナーのセミナーに参加したいちばんの収穫として、食習慣が変わった、食習慣が変わって、健康な身体を手に入れることが出来た、ということを挙げている方もいらっしゃるのです。短期目標として、食習慣を変えること、それを維持すること、というのは、とても重要なことのように思われます。
食習慣を変える、という方法なら、私が、ジェームススキナーのやり方を真似て方法論を展開するとしたら、身体にとって有害なものを、“有害だ” “有害だから食べない方がいい” “有害だから食べたくない” “食べたくない” という流れで、意識を変えていこうとするでしょう。
20
2月
ジェームススキナーのパーソナリティと、ジェームススキナーの仕事について、というテーマで稿を進めております。
彼、ジェームススキナーのセミナーでは、“考え方を変える”というトレーニングを行っているようです。おそらく、“出来ない”、という現象は、固定している“出来ない”という思考を突き崩すことによって、劇的に変わってくる、という論旨ではないなか、というふうに、私は想像します。あくまでも、私の想像です。この、メンタル障壁を取り除く、というやり方は、あらゆる成功哲学や自己啓発セミナーで用いられているやり方ですよね。これ自体、とても使える方法である、と、私も考えています。短期目標を達成するために、あるいは、目の前の障壁を乗り越えるために・・・その障壁というのは、自分が抱えたメンタル障壁である、ということが、多いのですが・・・自分の、“出来っこない”という常識を変えてみるんですね。そこらあたりは、ジェームススキナーも、また、ジェームススキナー以外の同業者も、同じことを言っていることと思われます。ただ・・・いえ、ジェームススキナーが、以下のようなことを言っている、ということではありませんので念のために事前に断わっておきますね。いくら、メンタル障壁を取り除くことに成功しても、人間には出来ないことがありますから、そこを無視して、“人間も、信じれば、空を飛ぶことが出来るんだ”、なんてことをやり出すと、これは、おかしなことになってしまいます。自己啓発セミナーというものの中には、そういう怪しげなものもあるようですから、これは要注意です。
18
2月
“もし、ジェームススキナーが、“板を割ることは早く出来るのだから、空手の修業を最初から行うのは無意味だ、非効率だ”、と、いうふうに短絡させようとするのだとしたら・・・“。
いえ、ジェームススキナーは、そんな単純な論理展開をしようとしているのではないでしょう。
彼、ジェームススキナーの論は、方法論、手続き論、という部分にまず限定して、板を割るためには、そのために最適な方法がある、ということを証明し、その上で、短期目標を達成するために、”達成の方法“を知らないでは、達成できないか、もしも達成できても、膨大な時間と労力を費やした上で、ということになりかねないのだ、というところへ帰納させたかったのでしょう。
更に、彼、ジェームススキナーは、こうも言うかもしれません。
”長期目標を達成するために達成しなくてはならない短期目標のみを厳選して、それらの、必要最小限の短期目標を達成することこそ、長期目標を確実に達成することへの必要条件である“、と。
長期目標、というのが、彼、ジェームススキナーの言うところの、個々によって異なる形態の”成功“である、ということになるのでしょう。
ジェームススキナーから、このような展開で説明され、その第一ステップとして、板割りと空手修行を例に出されたとしたら、私などには、とてもよく理解出来るのです。
おそらく、ジェームススキナーの言わんとしていることは、この辺りのことか、と、私は、勝手に想像しております。
14
2月
しかし、ここに、ジェームスキナーの真骨頂があるのかも知れませんね。私からしてみたら、彼、ジェームススキナーの論理は、尤もであるけれども、それは、“板を割る”という個別の短期目標を設定できてこその話で、そういう、個別の短期目標を設定するためには、”自分はどうなりたいか“という、長期の目標が設定できていなければならない、その、長期目標を設定することが、なかなかどうして、難しいんだ、というふうに考えてしまうのです。私のこの言を聞いたら、ジェームススキナーは、こういうかもしれません。”長期目標を設定するためにも、私、ジェームススキナーのセミナーに参加してください“、と、笑顔で話すでしょうね。それも然り、でしょう。
私の言う長期目標、というのは、先ほどの、板割りの試技と空手、という例で言うなら、“空手の修業を通じて、健全な心身を得よう、保とう”とするのが長期目標で、空手の修業の進捗度、と申しますか、達成度、と申しますか、を知るための、板割り、ということになるのかな、というふうに考えるのです。で、その、短期目標に過ぎない、板割り、だけを達成することに、なにか意味があるのか、ということです。確かに板を割るだけなら、空手の修業を必ず経なければならない、ということはないでしょうし、ジェームススキナーが主張しているらしい、早く達成できる方法、が、あるでしょう。ただ、もし、ジェームススキナーが、“板を割ることは早く出来るのだから、空手の修業を最初から行うのは無意味だ、非効率だ”、と、いうふうに短絡させようとするのだとしたら、私は、それには賛成しません。